2017年9月4日月曜日

分母は60億ではなく



ご無沙汰しております。
30歳になって、すっと10の位が1つ増えたことに驚くほど驚かなかったけど、自動的に前の10年間が思い返される、というのがこのタイミングなんだと思います。きっと次の10年経った後もそう。

20代。
最初に就職した会社で、人生最大の挫折を味わい、金輪際ないほどの中途半端な行動をした気がします。
「社会人」というお札を当時の自分の全身に貼り付けてやりたいくらい。

そこからロンドンの日々とニューヨークでの生活の合間に、東京を入れたらあっという間に過ぎてしまった印象です。

その間30ヶ国近く訪れて、様々な文化、人種、考え方、習慣、宗教に触れました。
そんな中今思うことは、60億の人々はそれぞれとっても個人的な幸せを求めて生きているということ。良い意味でです。

価値観、何を持って幸せとするかは互いに違えど、やっぱり笑顔になりたい。身近な人が笑顔だと良いと思う。

個人の話、30歳になって、自分が幸せなら周りも幸せになってくれるんじゃないかと考えるようになりました。

周りと比べての相対的なものではなく、完全個人が良しとする生活、バランスがしっかりしてる人になりたいなと強く思います。

分母は1であるべき。世界の人の、周りの人の暮らしと比べても、自分の芯がぶれてしまいそうだなと思います。

30歳のスタートにふと思ったことです。

でもでもジムに行くとあんなマッチョめんになりたいぞぉーーと思ったりもします。笑

世界の国々のそれぞれの暮らしをもっとみてみたいというのは未だ変わりません。

次の10年も新しい世界にたくさん首をつっこむ気まんまんです。


おごま

2017年1月15日日曜日

旅について


ずばり
見たことない景色や文化や人の営みを
見たいから見る
というのももちろんありますが

遠く離れた国を別世界ではなく
もう少し近くに
感じながら
生きていきたい
という
勝手で少し親不孝な企み(何度か死にかけているので笑)
という方が当てはまりまして


そして電車やバスに揺られて
様々な場所に行く中で
出会う人々、文化の違い
それらが目から鼻から耳から入り
頭の中でぐるぐると混ぜられて
毎日自分が新しい何かを感じて変わっていく
旅とは
そんな、ねるねるねるねな気づきや発見が何よりも楽しみな
長めのより道
とも呼べるお金のかかる趣味です


ピラミッドからジャングルへ
このご時世
行けてしまうので
しかし、いかんせん冒険家ではないので
危険なところはいきません。


石橋を叩き割る、でも渡ります。


わたわた動いている20代
美容師として思うことは、世界のどこの人でもみんな髪を切ると
気持ちいいんだなということ。


今年はベトナムと北欧にろっくおん!


おごま







2015年12月15日火曜日

見かけについて


タトゥーにまみれたヘッドフォンがんがんの、今にも噛みついてきそうな黒人さんが誰よりも早く老人に席を譲ったりするので


人を見かけで判断してはいけないと再確認、そして実践の繰り返しだったNY。

趣味や嗜好は
外に
見えるところのふしぶしに出てきますが
その人の内側にあるもの
大切にしている
価値観や物事の判断基準なんてすぐにはわからないもの、だもんで、決して人の事を決めつけてかかってはいけないということ。

メルティングポットなサラダボウルの中においても未だ垣間見た偏見。

人種の違いは、文化の違い、文化の違いはしばしば誤解に発展し、だから何人はあーだこーだとなるもので、しかしそれでひとくくりにするのは極めて21世紀的ではないので、もう少し一個人にフォーカスしていきましょう。

なんてことをぼんやりアメリカにて学びました。

つまりつまり、最初からくもった眼鏡をかけて人を見てしまっては見えるものも見えないので、めがねめがね、ジャッジメンタルな視力など無い方がかえってよいのであるということ。

こちら東京では〜系と都民を分解する傾向がありますが、そこも文化なんでしょうか、おそらく移り変わるものなのでそれに捉われすぎたくはないものです。

ちなみにわたくしガテン系の肉体に憧れてる28歳です。

おごま

2015年8月2日日曜日

年齢について。


えー、ごほん、アメリカではあまり年齢を聞かれません。
日常会話で基本出てこない。
お酒を買う時にID提示を求められる程度だと思います。
よってあまり自分の年齢を気にしなくなります。
他人の年齢も然りです。
おじいちゃんくらいの年齢の人と平気で肩組んだりできる。
とても良いことだと思います。

一方、日本ではこの年齢というものが、人との距離をはかる尺度になります。
初対面から気にせざる負えません。
喋り方や身の振り方で、他人に失礼のないように。
誠実な距離感。
これまた良いこと。


人には精神年齢というものがあります。

肉体年齢というのも時々耳にします。
気持ちも身体も若くいたい。
世界中の誰しもが思うことです。

ところがどっこい、実年齢を数えることで、気にしすぎることで、この肉体年齢も精神年齢も老いていって凝り固まってしまわないかと最近思います。

その点、何歳らしく、何歳だから、なんてアメリカ人はあまり気にしてないように感じます。加齢にとてもポジティブどポジティブ。

時々、ひげもじゃノーヘルハーレー爺を見かけますが、まさにこれですね。

ぶっちぎりで若いです。
ディープパープル世代です。
歳を取ってなおハードボイルド。



2年住んでアメリカ人が教えてくれたことの一つ。
年齢が人にもたらすものとは
経験と豊かさであり、焦りや衰えではないということ。
従っておとなもこどもも一緒くた。
境界線は極めてだるんだるん。
何歳でも何でもできると思わせてくれるのが、ずばりアメリカの良いところです。



お祝いメッセージをくれた方々ありがとうございました☆

こちらでの生活も残りわずか。

より多くを吸収して帰れたらなと思います。

おごま

2015年4月7日火曜日

遠くへ行く人


あでぃおーす。

はスペイン語でまたねーです。
職場のスパニッシュの人が仕事終わりに言ってくれる言葉。
達者でなー感も含まれていて、からっとぱりっと響きがよくて個人的には好きです。

最近は、NYから大切な友人やお世話になった方々が離れていく事が多く、決して慣れることの無い寂しい瞬間に毎度まごついてしまいます。

けれど、彼らは新しい生活に向かっていくのだから、実は極めてポジティブな瞬間。

春の作用と作法にならって、笑顔で別れるのが本当ですね。

日本にいると、今生の別れというのにはあまり出くわさない気がするんです、日本にいる限りいつか会えるという気持ちがどこかにあるのでしょうか。

しかし、外国で出会った人(特に外国人)とは、本当にもうしばらく会わないかもしれないから、さようならを言うのがとても辛い。

別れてしばらくしてから、もういないんだと携帯の連絡先をスクロールした時とかにふと気づきます。





環境が変わると見える世界が変わり頭の中もがらりと変わる。

そして人は、静かに静かに、いたはずの誰かがいない生活に慣れていくのだと思います。


でもおそらく人と人とは会うべきときにまた会うようになってますよね、この世の中。

離れている距離と時間をものともせず、

変わったお互いに変わらないところを見つけれるはず、

そう信じて、

全てを前向きに受け止めていきながらぁあでぃおーす。

遠くへ行ってもお元気で。

新しい土地でまたはじめましてからたくさんの事がはじまると願ってます◎