2011年1月25日火曜日

また東京で生きる。

やっと身辺・心辺整理終わりました。


さて、東京での生活もそろそろ1ヶ月が経ちます。
21年住んでいた場所。やはり駅から家までの道のりを歩いていると、ここが育った場所だと実感します。どの道よりも歩き慣れた道。
そしてふと空を見上げては星が少ないなと感じます。ミャンマーで空を見るのが好きになった自分にはとても寂しい瞬間。
懐かしい想いと、これが東京の空だと諦めが混じった少し複雑な気持ちになります。


驚くほどの事ではありませんが、1年半の間で街は少し姿を変えたようです。
学生時代散々僕の時間を奪ってきた踏切は視界の遥か上に移動され、高架線路がオレンジ色の電車を毎日支えています。
オムライスがおいしい中華の千成亭は閉店していて、いなほのおにぎりは相変わらず朝5時からほかほか。
この街を歩く事はまるで間違い探しのよう。

そして変わったものと変わらないものに出会う度、自分はどうなのかと。
もう何度も考えました。
この1年半で見てきた事はきっと脳みそがびっくりするくらいの容量だった気がするので尚更。


でも、1ヶ月経った今もこの疑問には未だに答えが出せないでいます。

自分が変わったのか、周りが変わったのか。
これはなかなか目に見えないし、そしてきっと誰にもわからないこと。
街の変化なんかより人間関係はとても複雑でわかりにくい。
懐かしい顔に会う度に考えさせられます。


でも不思議なもので、生きる事って実はすごく単純明快だと、旅で出会った風景やいろんな人がくれた言葉が教えてくれるんです
どんなへんぴなお世辞にも快適とは言えない場所にも人はそこに生きていて、
電車が10時間遅れる場所でも、毎日何時間も停電してもニコニコ生きていました。
身寄りがなくて自分の国がどこにあるのかもわからない子供たちも、幸せになろうと夢に向かって生きていました。
そして、朝になると真ん丸の朝日があそこにもあそこにも昇ってくる。


だから東京で生きても同じ事。


なにがあってもなにがなくても同じ事。



やりたい事をやって生きるだけです。











余談ですが、最近コーヒーとかお蕎麦のおいしさがわかってきました。笑

前は砂糖2個入れたカフェオレでも涙目になってたのに。蕎麦屋でも店主に心で謝りながら天丼頼む不届き者だったのに。
そのうちウォッカでもボトルでぐいっと飲んで、あーやっぱりウラジミールさんとこのが一番だー!なんて言い出したらどうしよう。


でもこの味覚の変化の理由は簡単で、コーヒーは一緒に働いたイタリア人のせい、そしてお蕎麦はきっと募りに募った日本への恋しい気持ちがつるっとはたらいたんでしょう。
まぁウォッカ造りの主人と仲良くなる日がそう早く来るとは思えませんが。





人は目で見て肌で感じた事で面白いほどに変わる、その中で変わっていくもの全てを受け止めてまた東京で生きていきます。

素直に嘘偽りなく。




旅で出会った人たち本当にありがとう。

おかげさまで僕の旅は彩り豊かでした。







ブログを読んでくれた方、心配してくれた方どうもありがとうございました☆
また東京での事を書いていきます☆
時間があったら読んでください。





小駒 聡








0 件のコメント:

コメントを投稿