2015年3月21日土曜日

家族の風景



3/20 金曜日 春分の日 大雪。

本来季節を分かつ筈の日ですが、午後未明にふりだした雪により冬のふりだしに逆戻り。
職場の最寄りの駅、Greenwichも雪にまみれて、広瀬香美を流して加藤春彦のポスターでも貼りたい雰囲気です。古)
あぁ、うらめしい春うらら。

前回触れたいつもお世話になってるAmy。彼女の家はこのGreenwichから更に1時間ほど。
まるで映画Fargoのような雪の中の小さな町にある、ブランコつきの一軒家。
去年から祝日がある度に招待してもらっていたので、最寄り駅までの乗り換えも、今ではちょちょいのちょいです。
遡ること数日。先週末の日曜日にセントパトリックスデイを祝いに一泊二日でお邪魔してきた時のこと。

朝10時。車で駅まで迎えに来てくれた、Amyの車に乗り込んで、一路旦那さんMattの実家に。
僕の席は二つの快適なチャイルドシートに挟まれた真ん中の、人呼んで、とりあえずあんたそこ座っといてシート。狭すぎる、両サイドから子供に髪を引っ張られる。あぁうらめしい春うらら。
Mattの家系はアイルランド人なので、アイルランド人の祝日のこのセントパトリックスデイを家族で祝うのが、一年の決まりごと。
ソーダブレッドという外がかりっとしたスコーンのようなパンと、塩の効いたコーンビーフとキャベツを食べるのが伝統らしく、ドレスコードはグリーン、マンハッタンの街もこの日は緑に染まります。
流れる音楽はアイリッシュの陽気なカントリーミュージック、黒ビールとウィスキーを入れたアイリッシュコーヒーで酔っ払った人々は音楽に乗せて陽気に踊ります。

美味しいご飯をご馳走になった後、今回は何故か知らないけど、酔った大人と子供達でパズル大会をしました。ほろ酔いの頭で夢中になってピースを探す。気がつけば日が落ちて夕方になり、Amyの家に帰って飲み直して9時くらいに眠るという、とてものどかな休日。

右下がAmyと息子Finn,右上がMatt,犬の隣が娘のGretchen


次は来月のイースターという祝日に招待してもらっています。いつも、どこの馬の骨ともわからない日本人を、大事な家族の日に呼んでくれて感謝の気持ちでいっぱいです。

どうやらこうやら、
アメリカに一歩踏み入れたその時から、星条旗という大風呂敷に包まれて、その中の人の輪に知らず知らずのうちに組み込まれていくもんなんですね。
ふところが大きい国。
Amyの家族とテーブルを囲んでいる、そんな何気ない瞬間にこう思います。


すっと、気持ちを日本に飛ばして、家族のみなさん今日も元気に生きていますよーーと。


この時々のブログで伝わればいいなと思います。




2015年3月5日木曜日

アメリカで働いてみて。


こんにちは。

日本はあたたかくなってきたと親から聞きましたが、NYは相変わらずスキー場の様な天気が続いています。
毎日ドラゴンドラの上です。(苗場)

さてさて、初めて仕事のことを書きます。

今働いてるサロンはお値段がちょっとばびゅんとすっ飛んでます。カットは15000円から、なんとオーナーは3万円です。カットとハイライトとネイルで10万円払っている人もみかけます
お客さんの会話は、来週ドバイに行く話や、お抱えのパイロットの愚痴や、持ってる動物園の動物達の話などなど。笑


わっはっはーー


次元が違うぜー


子象くれーー


といった感じですね、はい。


本格中華バーミヤンにでも連れていってリアクション見たいです。余談です。はい。


しかし、高級なイメージに反してお店はとても和やかな雰囲気。スタッフの仲もよく、個人的にかなり恵まれた環境で働かせてもらっているなと思います

そんな中、最近、職場のチームが変わりました。1年半一緒に働いて、ブローやスタイリングを叩き込んでくれたAmy(40歳)のもとを離れ、Vidal Sassoonのディレクターも兼任するMichael(50歳?)と働かせてもらうことに。
仕上げを僕が担当し、お客さんの合間にカットの理論を一から図解で教わる日々です。

新しい技術を学べることにはわくわくしていますが、Amyとは家族ぐるみの仲だったので、少しさびしい気持ちもあります。
家に遊びに行って一緒にパーティをしたり、彼女の子供と一緒に雪山にXmas用のもみの木を切りに行ったりと、アメリカの文化を何も知らない僕にとてもよくしてくれました。
彼女と働く最終日、お店が変わるわけではないのに、Amyは泣いてくれました。
いつだってSoのアメリカのママは私だからね、と。

今の職場には様々な国籍の人が在籍しています。
アメリカ人、ブラジル人、エクアドル人、ドミニカ人、フランス人、チェコ人、スロバキア人、ロシア人、ペルー人、ウルグアイ人、日系ハワイ人、日本人などなど。

そんな彼らと働くこと。


もちろん。


常識が通用せず、あっけにとられることもあります。


言葉がうまく伝わらず、悔しい思いをすることもあります。


けれど、一つの目標に向かって苦楽をともにすることで、言語や文化の壁を越えて、かけがえのないものを共有することができます。



振り返ると、技術以外の何かとても大事な事を学ばさせてもらっている気がします。


2年近く住み、そこにいて働いてることが当たり前になってきてはいましたが、Amyが泣いてくれたあの日、アメリカに来て働いてよかったなと心から思ったのでした。