春。
いつからかは特にわかりませんが、一年経ったら住み慣れない街が居心地の良い場所に様変わりしていました。
思うに人間誰しも少なからず適応力は生まれながら持ち合わせているわけで、そこにはどんな加減も乗除も関係なく、ある時を境に右も左もわからない場所がナワバリになり都になるわけです。
たとえ何度住む場所を変えても必ず出会いと別れがあり、鳥肌の立つような素晴らしい経験と、どうにもやりきれない悲しさが自分を待ち受けています。
楽しめるか否か。要は何処にいるも暮らすも自分次第だということ。
NY、今日は快晴。
空を飛ぶ飛行機を眺めながら、果たして彼らは帰るのか向かうのかと。
物理的な距離を感じるのは仕方ないながらも、何と言っても家族への想い、生まれ育った場所への懐かしさと郷愁を覚え、忘れずに、身体を大事に生きるのみです。 みなさん母の日ですね。
お母さんと呼んだ事はないけれど、いつもありがとう。
次男
いつからかは特にわかりませんが、
思うに人間誰しも少なからず適応力は生まれながら持ち合わせてい
たとえ何度住む場所を変えても必ず出会いと別れがあり、
楽しめるか否か。
NY、今日は快晴。
空を飛ぶ飛行機を眺めながら、
物理的な距離を感じるのは仕方ないながらも、
お母さんと呼んだ事はないけれど、いつもありがとう。
次男
素直にママと呼びませう。
返信削除Danieleみたいにmaanmaと呼びましょう。笑
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