2015年12月15日火曜日

見かけについて


タトゥーにまみれたヘッドフォンがんがんの、今にも噛みついてきそうな黒人さんが誰よりも早く老人に席を譲ったりするので


人を見かけで判断してはいけないと再確認、そして実践の繰り返しだったNY。

趣味や嗜好は
外に
見えるところのふしぶしに出てきますが
その人の内側にあるもの
大切にしている
価値観や物事の判断基準なんてすぐにはわからないもの、だもんで、決して人の事を決めつけてかかってはいけないということ。

メルティングポットなサラダボウルの中においても未だ垣間見た偏見。

人種の違いは、文化の違い、文化の違いはしばしば誤解に発展し、だから何人はあーだこーだとなるもので、しかしそれでひとくくりにするのは極めて21世紀的ではないので、もう少し一個人にフォーカスしていきましょう。

なんてことをぼんやりアメリカにて学びました。

つまりつまり、最初からくもった眼鏡をかけて人を見てしまっては見えるものも見えないので、めがねめがね、ジャッジメンタルな視力など無い方がかえってよいのであるということ。

こちら東京では〜系と都民を分解する傾向がありますが、そこも文化なんでしょうか、おそらく移り変わるものなのでそれに捉われすぎたくはないものです。

ちなみにわたくしガテン系の肉体に憧れてる28歳です。

おごま

2015年8月2日日曜日

年齢について。


えー、ごほん、アメリカではあまり年齢を聞かれません。
日常会話で基本出てこない。
お酒を買う時にID提示を求められる程度だと思います。
よってあまり自分の年齢を気にしなくなります。
他人の年齢も然りです。
おじいちゃんくらいの年齢の人と平気で肩組んだりできる。
とても良いことだと思います。

一方、日本ではこの年齢というものが、人との距離をはかる尺度になります。
初対面から気にせざる負えません。
喋り方や身の振り方で、他人に失礼のないように。
誠実な距離感。
これまた良いこと。


人には精神年齢というものがあります。

肉体年齢というのも時々耳にします。
気持ちも身体も若くいたい。
世界中の誰しもが思うことです。

ところがどっこい、実年齢を数えることで、気にしすぎることで、この肉体年齢も精神年齢も老いていって凝り固まってしまわないかと最近思います。

その点、何歳らしく、何歳だから、なんてアメリカ人はあまり気にしてないように感じます。加齢にとてもポジティブどポジティブ。

時々、ひげもじゃノーヘルハーレー爺を見かけますが、まさにこれですね。

ぶっちぎりで若いです。
ディープパープル世代です。
歳を取ってなおハードボイルド。



2年住んでアメリカ人が教えてくれたことの一つ。
年齢が人にもたらすものとは
経験と豊かさであり、焦りや衰えではないということ。
従っておとなもこどもも一緒くた。
境界線は極めてだるんだるん。
何歳でも何でもできると思わせてくれるのが、ずばりアメリカの良いところです。



お祝いメッセージをくれた方々ありがとうございました☆

こちらでの生活も残りわずか。

より多くを吸収して帰れたらなと思います。

おごま

2015年4月7日火曜日

遠くへ行く人


あでぃおーす。

はスペイン語でまたねーです。
職場のスパニッシュの人が仕事終わりに言ってくれる言葉。
達者でなー感も含まれていて、からっとぱりっと響きがよくて個人的には好きです。

最近は、NYから大切な友人やお世話になった方々が離れていく事が多く、決して慣れることの無い寂しい瞬間に毎度まごついてしまいます。

けれど、彼らは新しい生活に向かっていくのだから、実は極めてポジティブな瞬間。

春の作用と作法にならって、笑顔で別れるのが本当ですね。

日本にいると、今生の別れというのにはあまり出くわさない気がするんです、日本にいる限りいつか会えるという気持ちがどこかにあるのでしょうか。

しかし、外国で出会った人(特に外国人)とは、本当にもうしばらく会わないかもしれないから、さようならを言うのがとても辛い。

別れてしばらくしてから、もういないんだと携帯の連絡先をスクロールした時とかにふと気づきます。





環境が変わると見える世界が変わり頭の中もがらりと変わる。

そして人は、静かに静かに、いたはずの誰かがいない生活に慣れていくのだと思います。


でもおそらく人と人とは会うべきときにまた会うようになってますよね、この世の中。

離れている距離と時間をものともせず、

変わったお互いに変わらないところを見つけれるはず、

そう信じて、

全てを前向きに受け止めていきながらぁあでぃおーす。

遠くへ行ってもお元気で。

新しい土地でまたはじめましてからたくさんの事がはじまると願ってます◎





2015年3月21日土曜日

家族の風景



3/20 金曜日 春分の日 大雪。

本来季節を分かつ筈の日ですが、午後未明にふりだした雪により冬のふりだしに逆戻り。
職場の最寄りの駅、Greenwichも雪にまみれて、広瀬香美を流して加藤春彦のポスターでも貼りたい雰囲気です。古)
あぁ、うらめしい春うらら。

前回触れたいつもお世話になってるAmy。彼女の家はこのGreenwichから更に1時間ほど。
まるで映画Fargoのような雪の中の小さな町にある、ブランコつきの一軒家。
去年から祝日がある度に招待してもらっていたので、最寄り駅までの乗り換えも、今ではちょちょいのちょいです。
遡ること数日。先週末の日曜日にセントパトリックスデイを祝いに一泊二日でお邪魔してきた時のこと。

朝10時。車で駅まで迎えに来てくれた、Amyの車に乗り込んで、一路旦那さんMattの実家に。
僕の席は二つの快適なチャイルドシートに挟まれた真ん中の、人呼んで、とりあえずあんたそこ座っといてシート。狭すぎる、両サイドから子供に髪を引っ張られる。あぁうらめしい春うらら。
Mattの家系はアイルランド人なので、アイルランド人の祝日のこのセントパトリックスデイを家族で祝うのが、一年の決まりごと。
ソーダブレッドという外がかりっとしたスコーンのようなパンと、塩の効いたコーンビーフとキャベツを食べるのが伝統らしく、ドレスコードはグリーン、マンハッタンの街もこの日は緑に染まります。
流れる音楽はアイリッシュの陽気なカントリーミュージック、黒ビールとウィスキーを入れたアイリッシュコーヒーで酔っ払った人々は音楽に乗せて陽気に踊ります。

美味しいご飯をご馳走になった後、今回は何故か知らないけど、酔った大人と子供達でパズル大会をしました。ほろ酔いの頭で夢中になってピースを探す。気がつけば日が落ちて夕方になり、Amyの家に帰って飲み直して9時くらいに眠るという、とてものどかな休日。

右下がAmyと息子Finn,右上がMatt,犬の隣が娘のGretchen


次は来月のイースターという祝日に招待してもらっています。いつも、どこの馬の骨ともわからない日本人を、大事な家族の日に呼んでくれて感謝の気持ちでいっぱいです。

どうやらこうやら、
アメリカに一歩踏み入れたその時から、星条旗という大風呂敷に包まれて、その中の人の輪に知らず知らずのうちに組み込まれていくもんなんですね。
ふところが大きい国。
Amyの家族とテーブルを囲んでいる、そんな何気ない瞬間にこう思います。


すっと、気持ちを日本に飛ばして、家族のみなさん今日も元気に生きていますよーーと。


この時々のブログで伝わればいいなと思います。




2015年3月5日木曜日

アメリカで働いてみて。


こんにちは。

日本はあたたかくなってきたと親から聞きましたが、NYは相変わらずスキー場の様な天気が続いています。
毎日ドラゴンドラの上です。(苗場)

さてさて、初めて仕事のことを書きます。

今働いてるサロンはお値段がちょっとばびゅんとすっ飛んでます。カットは15000円から、なんとオーナーは3万円です。カットとハイライトとネイルで10万円払っている人もみかけます
お客さんの会話は、来週ドバイに行く話や、お抱えのパイロットの愚痴や、持ってる動物園の動物達の話などなど。笑


わっはっはーー


次元が違うぜー


子象くれーー


といった感じですね、はい。


本格中華バーミヤンにでも連れていってリアクション見たいです。余談です。はい。


しかし、高級なイメージに反してお店はとても和やかな雰囲気。スタッフの仲もよく、個人的にかなり恵まれた環境で働かせてもらっているなと思います

そんな中、最近、職場のチームが変わりました。1年半一緒に働いて、ブローやスタイリングを叩き込んでくれたAmy(40歳)のもとを離れ、Vidal Sassoonのディレクターも兼任するMichael(50歳?)と働かせてもらうことに。
仕上げを僕が担当し、お客さんの合間にカットの理論を一から図解で教わる日々です。

新しい技術を学べることにはわくわくしていますが、Amyとは家族ぐるみの仲だったので、少しさびしい気持ちもあります。
家に遊びに行って一緒にパーティをしたり、彼女の子供と一緒に雪山にXmas用のもみの木を切りに行ったりと、アメリカの文化を何も知らない僕にとてもよくしてくれました。
彼女と働く最終日、お店が変わるわけではないのに、Amyは泣いてくれました。
いつだってSoのアメリカのママは私だからね、と。

今の職場には様々な国籍の人が在籍しています。
アメリカ人、ブラジル人、エクアドル人、ドミニカ人、フランス人、チェコ人、スロバキア人、ロシア人、ペルー人、ウルグアイ人、日系ハワイ人、日本人などなど。

そんな彼らと働くこと。


もちろん。


常識が通用せず、あっけにとられることもあります。


言葉がうまく伝わらず、悔しい思いをすることもあります。


けれど、一つの目標に向かって苦楽をともにすることで、言語や文化の壁を越えて、かけがえのないものを共有することができます。



振り返ると、技術以外の何かとても大事な事を学ばさせてもらっている気がします。


2年近く住み、そこにいて働いてることが当たり前になってきてはいましたが、Amyが泣いてくれたあの日、アメリカに来て働いてよかったなと心から思ったのでした。






2015年2月20日金曜日

食器





最近、日本に帰っていた際に、祖母の家から歩いて15分の神楽坂の駅前のla kaguという、おしゃれなよろず屋さんに立ち寄って、

晴れた日の昼下がりの予想外のカフェコーナーの人の賑わいと、それをよそ目にしゃなりしゃなりと並ぶ高そうな洋服のコントラストにたじろぎながらも二階に上がると、

すっと自然に引きつけられるように一つのカップと目が合いまして

どう見ても見覚えのあるそのカップは、我が家にあるものとまるで同じ物、そして同じ佇まいでぽつねんとお店の角に置いてあり、

自分が小さい頃、両親の飲むコーヒーの香りが何やら煙たかった頃から我が家のテーブルにあったそのカップ、そしてソーサー、

そんな彼らを家の外の見知らぬお店で発見することはとても嬉しい偶然で 、

北欧made、

どこで作られた物であろうと、懐かしい気持ちを遠くからか運んできてくれました。

よく見ると、一つのセットがかなりの値段で売られていたので、

小金井の実家に帰り、親にいきさつを聞いたら昔は安かったとのこと、

ヒビも入らず何十年も小駒家とコーヒーのある風景を見つめてきたカップとソーサー、

こっそり一つアメリカに持ち帰ろうと思ったけども、

定位置は小金井市、

空港に向かう前のほっと一息、コーヒーをゆっくり飲んだだけにしておきました。

果たしてその昔、北欧から海を越えてきたのか、空を飛んで来たのか、

人と物は今も昔も世界中を巡り巡っているのだなと再確認させられた、

今回の帰国の思い出です。



2015年2月8日日曜日

オザケンに会いたいの巻



NYで暮らしていると、土地柄か、有名人の目撃情報をよく聞く。

スーパーモデルがレストランにいただの、リアーナがお寿司を食べていたとかとか。
日本人だと、野球のマー君と奥さんがどこそこでご飯を食べていたとかいないとか。

そういう話を聞くたびに思うんです、

いや、わしはレディーガガより誰よりオザケンに会いたい。と。笑

NY在住の彼は、マイカー(おそらくカローラではない)を乗り回して移動しているらしい。

求む、目撃情報。
再確認、自分に潜むミーハー性。

歌詞が本当にいいと思うんです。

さよならなんて云えないよ

という曲がすきです。